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会社案内

会社概要

福島工業株式会社

会社名
福島工業株式会社
所在地
〒523-0013 滋賀県近江八幡市長光寺町75番地
電話番号
0748-37-6077
FAX番号
0748-37-6782
代表者
代表取締役 福嶋 勉
設立年月日
1972年6月16日
資本金
1,000万円
従業員数
10名
業務内容
籐製品の製作販売

沿革

大正13年 5月
5月1日 福島籐あじろ敷物工場 営業開始
昭和12年 7月
戦争による原材料輸入中止の為休業する。
昭和28年 9月
原材料輸入開始により営業再開する。
昭和34年 9月
皇太子(現在の上皇様)ご成婚に籐あじろ敷物献上。宮内庁より表彰を受ける。
籐家具の販売を始める。
昭和37年 4月
福島籐工業と改名。
昭和37年 9月
台湾に技術指導を開始し、籐製品全般(籐家具、籐敷物)を輸入販売。
昭和47年 6月
福島工業株式会社に改名。
昭和48年 3月
新社屋完成。
昭和57年 3月
防炎(加工)認定工場の資格取得。
平成 1年 3月
直接貿易業務開始。
平成 3年10月
資本金 1,000万円に増資。
平成14年10月
新商品『タイルラタンカーペット』製法特許出願。
平成15年 7月
経営革新支援事業承認
平成16年 4月
スーパー・ラタン・タイル販売開始。
平成17年 8月
京都大学との研究で籐には抗菌作用があり、有害物質を吸着する事が判明。
平成18年10月
スーパー・ラタン・タイル製法特許取得。
平成19年10月
文部科学省・科学技術振興(JST)の補助金を受け、籐の科学的研究が立命館大学、滋賀県工業技術センターと共にスタート。
平成20年3月
成安造形大学との産業連携により籐バック製作開始。
平成26年5月
近江兄弟社創立者メレル・ヴォーリズ婦人一柳満喜子氏の使用籐椅子の修理
平成30年4月

本田宗一郎邸 籐むしろ 納品
令和3年2月
日本相撲協会 弓取式の弓の籐巻き
令和4年8月
同支社大学設立者 新島襄氏使用の京都市文化財椅子の修理
令和6年5月
創業100周年

籐の歴史と福島工業株式会社の歩み

福島工業株式会社の歴史
籐が日本にやってきたのは550年以上前と言われており、当初の用途は専らその強度を活かした荷造りや道具等に巻きつけての補強用途が多かった様です。
長じて弓や尺八といった一部装飾を兼ねたモノにも使われる様になり、本格的なインテリア製品として普及したのは明治時代以降です。特に加工するのにきれい な水を大量に必要とすることから、河川・湖が豊富であるここ滋賀県で発達し、近畿圏の消費地に受け入られ、戦前は特に夏暑い盆地である京都での籐敷物の人気が高かった様です。

弊社、福島工業株式会社もそうした背景のもと、大正13年に創業したわけですが、昭和12年に戦争による原料輸入中止の為一時休業。昭和28年の輸入開始でようやく営業を再開します。
その後、籐の需要は順調に推移しますが、昭和30~40年後半にかけて日本の人件費が高騰したため、製造地が日本から台湾に移り、敷物や家具の製造技術も移行することになります。
弊社も諸輪は37年より台湾へ赴いての技術指導に努めました。
以降、弊社は敷物の防炎加工認定工場資格を取得したり、直接の貿易業務を開始する等の快挙に恵まれましたが、1988年10月、原材料であるインドネシア政府の突然の材料輸出規制により、籐材料の輸入ができなくなりました。これには随分当感しました。

しかしインドネシア国内で製造した製品については輸入可能なので、我々は急遽、今度は台湾からインドネシアへと製造地を移すべく、再び技術指導に努め、現 在の事態に至っています。すなわち弊社の製品は、設計は福島工業で行い、インドネシアで、という過程になっており、特に家具などはこちらで図面を書き、イ ンドネシアで製造そして輸入といった手筈になります。
しかし弊社製品全てというわけではなく、敷物などはインドネシアで掲載の『スーパーラタンタイル』などは弊社独自の技術によるものです。

交通アクセス

[住 所] 〒523-0013 滋賀県近江八幡市長光寺町75番地
[交通機関] JR東海道本線(琵琶湖線)近江八幡駅下車
    (乗り替え)
     近江鉄道 武佐駅 徒歩約1分
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TEL. 0748-37-6077
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福島工業株式会社
〒523-0013
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籐製品の製作販売
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